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turbo717's Activity 

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Scotland skech_2

Edinburgh Castle スコットランドお城めぐり_その4_story(601) 2006.8.26

本日は、Edinburgh Castle
Edinburgh Military Tattooの興奮さめやらいないエジンバラですが、Scotland一周の旅に出る前の早朝、再び城を眺めてみました。
高さ約130mの岩山(キャッスル・ロック)の上に聳え立っています。
太古に氷河が削り残していった岩山の上に、本格的な城砦が築かれたのは、7世紀~8世紀。
岩山は東に向ってなだらかに傾き海に至ります。この上にそびえる城をゲール語で、「斜面に立つ(Edin:エジン)城砦(Burgh:ばら)」と称したのが町の名前の由来です。


11世紀にはマルコム3世が居城としました。
13世紀末の英雄ウィリアム・ウォレスから16世紀にかけて、イングランドとの抗争に明け暮れたスコットランドですが、その歴史の象徴として今でも雄々しさを保ち続けながら、エジンバラの街を見下ろしています。

1707年、スコットランドがイングランドに併合され、グレート・ブリンテン王国となりました。
X印(青地に白の斜十字)のスコットランド国旗に+印(白地に赤の十字)のイングランド国旗が合わさり、さらに1801年に赤X印(白地に赤斜十字)のアイルランドが合わさって、現在のイギリス国旗(ユニオン・ジャック)が生まれました。
スコットランドの面積は、約7万9000平方km。荒々しい自然と牧歌的な暮らしが共存します。

15世紀には、エジンバラが首都と定められて以来、2世紀にわたって歴代のスコットランド王はここに住みました。

城で最も古い建物は12世紀末に建てられたSt.Margaret's Chapel(セント・マーガレット礼拝堂)です。
そのほかの建物は1313年にすべて破壊されてしまっています。1566年には、Kings Lodg-ing(キングロッシング)と呼ばれる宮殿でイングランド王、ジェイムズ6世が誕生しました。
宮殿2階のCrown room(クラウン・ルーム)には現存する即位の宝器では英国最古といわれる王冠などが陳列されています。門楼は19世紀に立て替えられました。


青字がScotland、赤字がEnglandです。
太字の部分が、本日の掲載部分です。
NTSはNational Trust for Scotland property(スコットランド遺産を保護するナショナルトラスト運動の拠点)
NTはNational Trust(イングランド遺産を保護するナショナルトラスト運動の拠点)
Lochはスコットランド語で「湖」


→Edinburgh Military Tattoo(:エジンバラcastle)
Edinburgh(エジンバラ)→車→Forthbridge→Perth(パース)→Dundee→Aberdeen(花崗岩の町:アバディーン)

全コースは、2006/8/23の日記を参照ください。





Edinbaurgh Castle West
Edinburgh Castle West



Edinburgh Castle South
Edinburgh Castle South


上の絵はEdinburgh CastleーWest Edgeから(東向き110° am6:15)
城の西側すれすれにKing's Stables Roadという道があり、ほぼ平行に通るCasle Terraceの下をくぐって南東の方向に伸びていきます。
この2つの道路は高さにして10mの開きがあり、テラス状の駐車場ができています。絵は駐車場のゲートからお城を見上げたものです。
この時間、まだ街は寝静まっていました。

ほんとう言いますと、後ろ側(城の西北端)に位置するCaledonia Hotelからお城を見た景色が最高なのですが、今回は別のホテルです。

下の絵はEdinburgh CastleのSouth edgeが面するJhonston Terrace通りから見上げたもの(北西向き300° am6:29)
地上から最も落差のある場所で、ここをよじ登ればタダでtattooを見れるのですが無理でしょう。

右側の丸い箇所がPalaceです。Tattoo(軍楽隊行進)の会場は、お城の東側正面のEsplanade(エスプナラード:遊歩道)と呼ばれる広場で、毎年夏に天まで届きそうな見物席を業者がパイプで組み立てます。

昨夜のお祭り騒ぎも、Esplanadeはガランとしており、開放されていました。日中はこの会場は、お城見物のEntranceとして使われます。


Dundee スコットランドお城めぐり_その5_story(602) 2006.8.27

Allan & Barbara Pease( アラン+バーバラ・ビーズ)の「話を聞かない男、地図が読めない女」と似たようなカップルの1000kmの旅の始まりです・・・

本日は、Dundeeの町
Edinburgh Military Tattooの翌日は快晴。
「1car1」というレンタルカーの会社にTaxiで直行。港近くの、とあるビルの裏地の、さびれた場所にTaxiを下りる。
殺伐とした空間に、大きなカバンが2つ。途方にくれる2人を救うものは?

レンガ造りの事務所が遠くに見えた。ノックするも人の気配がない。1人が盛んにゲール語なまりの英語で電話していました。
用件を言うと、トラブルが発生したのか、あちこち電話をし始めた。
トヨタの車を予約しておいたのに、それが無いというではないか。結局英国のVauxhall社製のAstraに決まった。
ここで、驚くべきことが。神奈川県の二俣川の試験所に2回も足を運んで取った国際免許証が「信用できない」といって採用されず。
日本語の免許証で十分ということだ。(もっとも道路上では国際免許証が必要になると思うのだが、レンタル会社には通用しなかったということだ)

次に問題なのが、大都市エジンバラを抜ける方法。右に、左に、それからQueen Streetを行き、Forth Bridgeと書いてある看板に沿って行け!と。
Keep Leftで同じ交通なのが幸い。燃料を聞くと、ペトローリアムという。安いディーゼルでは無いということだ。
ミラーが動かないので、事務所に駆けつける。「手で小さなノブを回せ」と。「遅れている!」

道に出ようとして、ウインカーをいじると、ワイパーが動き出した。なんかいじっていると、液体が出てくるわ、最高スピードにワイパーが動くではないか。
ここで、気がついた。左右逆であることを。つまり、ウインカーは左、ワイパーーが右。慣れるまでは苦労した。家人は最後までこれを間違っていた。学習能力が問われる。

道に出て走り出したがなにやらもぞもぞ動く。見ると リヤウインドウのワイパーが時たま動くではないか。「知らぬか!」天気もよいのに、リヤウンドウのワイパーが動きっぱなしで都心を走る恥ずかしさ。
な、なんと、Queen Street。エジンバラ城の前のPrices Streetに直結しているではないか。一番の目抜き通りを、家人のナビで、突っ走る不安!。泊まっていたホテルがあったHaymarketの直前でUターンをするような標識が。
このあたりは一方通行で、同じ方向に戻る箇所。不安は募る。

ForthBridge ForthBridge と呪文を唱える僕。不要なワイーパーはせわしげに動いている。
「車を止めて、操作マニュアルを見たら」という家人に耳にもくれず、いろんなボタンを長く押したりしながら、トライをすること100回。やっとワーパーがとまった。

ここにいたるまでに、へんなサークル(地図には、白抜きの丸。Roudabout:ランダバウト)がいくつも。これは交差点をロータリーにした「待ち時間ほぼゼロの交差システム」(英国人に言わせると「実にばかげている交通システム」という。曰く:日本の”何も来なくても赤で待つ交通システム”が安全面で優れているという評価なのだが)
がいくつもあり、回っているうちに目がまわり方向を見失うという代物。目印をつけておかないと、行き過ぎたり、足りなかったりと、目標の方角に行けないということになる)



Perth(パース)という古都(15世紀まではスコットランドの首都であった)にも行きそびれ(これは家人曰く、「左に行け」といったのに、反対にハンドルを切った貴方が悪いと・・)、引き返す道がわからないまま高速でもない道を飛ばし、とある町。Dundeeに入る。
街中が、一番交通が難しい。地図を頼れないからだ。わき道がいっぱいある上に、A4だの、B45だの気が利いた標識がほとんどなく、ここを行けばA4に出れるという意味の(A4)というカッコ付の標識となる。これが曲者。
どこからでもその道に行ける場合はいたるところに同じ文字が表示されるからである。

昼食をとるために駐車スペースを探す。白線で囲ってある場所は自由に止めてよいらしく、昼食時はこの枠が取り合いとなる。虎視眈々と狙っている様子で、方向なんてお構いなしに、止っている。
やっと見つけた箇所に止め、左右を見渡してみると、バングラデシュ料理店が。イギリスにはインド料理などもかなり多く、東インド会社の影響かとも思われる。
1時間ほど食事したがこの間、客は来ず、レストランを独占した感。ウエイターの男性は3年前にバングラデシュから遣ってきたという。店は6年前にできたということである。夜は賑わうのかしら。


Aberdeen市内までの道は下記の通り・・
Queen Street→A90→A902→A90→M90→Dundee→M90→A956→Aberdeen
このように「9」という文字はスコットランド北西部分に付けられたNoのようです。


青字がScotland、赤字がEnglandです。
太字の部分が、本日の掲載部分です。
NTSはNational Trust for Scotland property(スコットランド遺産を保護するナショナルトラスト運動の拠点)
NTはNational Trust(イングランド遺産を保護するナショナルトラスト運動の拠点)
Lochはスコットランド語で「湖」
全コースは、2006/8/23の日記を参照ください。


→Edinburgh Military Tattoo(:エジンバラcastle)
Edinburgh(エジンバラ)→車→Forthbridge→Perth(パース)→Dundee→Aberdeen(花崗岩の町:アバディーン)






Dundee
Dundee




絵はPerthをパス!して偶然立ち寄ったDundeeのまち(南向き180° pm1:35)
Dundee大学や植物園もある坂のある町。ゴルフ発祥との土地、St.Andrews(セント・アンドリュース)へTay Bridgeを渡って15kmほど。
海はTay(テイ)川河口(Firth of Tay)。
Dundeeは海に面した軽井沢という面持ちの町でした。

Aberdeenに急ぐ。続く。




Aberdeen スコットランドお城めぐり_その6_story(603) 2006.8.28


本日は、Aberdeen(花崗岩の町:アバディーン)の町




Aberdeen City
Aberdeen-City



 運転も慣れてきたが、やはり都市にはいると例のRoundabout(ランダバウト)という目の回るロータリーが出てくるので注意しないといけない。一方通行も多いので、間違えるわけにはいかない。 波止場2つ目の角に瀟洒なホテルが!ある筈であった。

 大渋滞のなかで見落としたか? 坂道にかかりだし、目抜き通りが丘の上に見え出してもホテルらしきものはない。
 ここであわてず騒がず、ハザードを点滅させて、家人を伝令に飛ばせた。
 待てど暮らせど家人は戻ってこない。

 しばーらくたってようやく戻ってきた。なんと、道路の向かいにある建物がめざすホテルだという。
 目の前のホテルがまさか目指すホテルだったとは、名前が変わっていたのだ。家人曰く、たまたま聞いた人が酔っ払いだったりして、手間取り、丁寧な対応で市役所の方向を連れていかれたとのこと。断りにくくふんふんと聞いていたため遅くなった。途中のホテルで聞いてやっとわかった とのこと。このホテル、駐車場がないため、角をまがって2つめの入り口を上がれと。

 幽霊ホテルのような感じで、廊下のペンキをはがす職人しか見かけないホテルであった。
受付で3人がいた。
 近隣の情報を得ようとしてしくじった。「May I ask you」と言うべきところ、「My I help you.」とやったものだから、3人とも目が点になっていた。小生の英語力ってこんなものか?

 日本で160kmと計画した本日の走行距離は、実際は160マイルで、(=256kmと) とてつもない走行距離であった。夜9時まで眠り、その後町に繰り出すも、もうレストランは店を閉じ、バーのみが開いているという状況であった。

 寝る前に6時頃の雑踏を見たが、すごいものであった。東西には銀座通りというべきUnion Streetと、南北にKing Streetが通っていた。この2つの通りが交差するあたりが中心で、Tolbooth(トルブース)博物館というとてつもない大きな建物が聳えていた。





 港からすぐ丘になっており、丘は東向きに海に飛び出している感じ。このへりを北へ、King Streetが、西へUnion Streetが伸びているという地形。
 Union通りは百貨店などの商業施設がびっしりと建ち、通行人も多い。フラワー・ボールともいうべき、ペチュニア、ベゴニアなど色とりどりの花を中心の鉢から咲きこぼさせ、見事にボール状にしたものを吊るすという方法で町の至るところに飾ってある光景には息をのむ美しさです。
 スコットランドではどの町もこのようにきれいに飾っていました。

 交差点に、1軒だけ、食事ができる店があり、そこを利用しました。1800年代からあるという老舗のお店でした。



 朝、キングス・カレッジまでジョグしました。通りを1本入るだけで、中世の雰囲気が漂う町でした。





Kings College Chapel
King's College Chapel


上の絵はUnion通りからGarden Square前の街角を眺めたものです。(北向き20° am6:33)
 白い枠の窓や屋根をもつ家の多い一角で、特徴的でした。
 しっくいを防水用や保温用に塗り固めたと考えられ、この一角が相当古い建物の都市中心部であることを物語っています。
 道路の左(西)側には鉄道が走っており、この土手の法面が、Union Terrace Gardensとなっております。沢山の教会があり、空に尖塔を突き出していました。


下の絵はKing's Collegeの礼拝堂(南向き180° am7:09)
 1495年。エルフィンストーン司教によって建設されたKing's Collegeの、礼拝堂です。
大学の裏に建つ建物ですが、塔の上に王冠を載せたようなデザインとなっており、見事な礼拝堂でした。
 芝生の広場にはベンチがあり、くつろげるようになています。
礼拝堂への道にはマリア様でしょうか、彫刻が横たえられ、西向きに添えられていました。
画面。下にある四角い箱がそれです。



Aberdeenを出発。続く。


青字がScotland、赤字がEnglandです。
太字の部分が、本日の掲載部分です。
NTSはNational Trust for Scotland property(スコットランド遺産を保護するナショナルトラスト運動の拠点)
NTはNational Trust(イングランド遺産を保護するナショナルトラスト運動の拠点)
Lochはスコットランド語で「湖」


→Edinburgh Military Tattoo(:エジンバラcastle)
→Edinburgh(エジンバラ)→車→Forthbridge→Perth(パース)→Dundee→Aberdeen(花崗岩の町:アバディーン)
→Aberdeen(アバディーン)→Stoneheven→Dunnottar(ダノッター城)→Fraser(フレーザー城:NTS)→Kildrumy(キルドラミー城)→Dufftown→Elgin→Niarn→Inverness(インヴァネス=ネス河の河口)


全コースは、2006/8/23の日記を参照ください。


Dunnottar スコットランドお城めぐり_その7_story(604) 2006.8.29


本日は、Dunnottar(ダノッター城)


 今回のホテル、幽霊ホテルと思いきや、朝食ともななると人が集まりだした。朝のバイキングでは、ホット メニューについてだけ、注文を受けるというシステムで合理的と判断した。ペンキを剥がしたあとの剥がしたペンキが山となっており、その隙間を通るという場面もあり、おかしなホテルであった。


 Aberdeen(アバディーン)の (インフォメーションセンター:ビジターセンター:全国の市町村や観光名所に必ずあります)に行き、お城めぐりの情報を得る。
ガイドブックに載っていた写真で、名前がわからなかった城を見せると、「Dunnottar(ダノッター城)」・・Aberdeen(バディーン)から南に20kmいった断崖に建つという。すわ、駆けつけなければと、予定を変更し、南下を決定する。昨日の道を一部戻るという行程である。




Dunnottar
Dunnottar




なにせ、1200箇所もお城がある地域。1日3castle回ったとして1年以上もかかるという計算。

日本にいるスコットランド人からの情報やガイドブックからこれぞと思うものをピックアップはしてあった。しかし、道路があまりにも複雑で、ぐるぐるめぐる というのが困難である。
城めぐり用にCastle Trail(キャッスル トレイル)というのが設定してあり、至るところに道に矢印が出ている。しかし、どこからどこへという矢印でないため、同じ場所をぐるぐる回るというミスも心配。

次のホテル インヴァネスへの一筆書きでいける城3つをピックアップした。その後も行く先々でお城に出会えたのでOKとしたい。
・Dunnottar(ダノッター城)
・Fraser(フレーザー城:NTS)
・Kildrumy(キルドラミー城)

の3つである。



 駐車場には、4,5台車が。
 B&Bが脇にあり最初はこれが城かな と思ったが、断崖絶壁にいたる小道があり、羊のための出入り口があり、人1人しか通れない仕掛け。
 電気回路のスイッチのような柵で、1人だけがそれを押し開けバネでもどる柵を次の人が押し開けるという仕掛け。なかなの優れた工作であった。かわいい廃墟の城がそこにあった。
北海に突き出した、断崖であった。 

・Dunnottar(ダノッター城)への行程
Aberdeen→A956→A90→Stonhaven→B979→A92→農道を海へDunnottar。




絵はDunnottar(ダノッター城)(東向き100° am10:50)

アップダウンのある遊歩道が城まで続いています。
あたりは牧場で、緑地の断崖が続き、景色のよい眺めが楽しめます。


・Fraser(フレーザー城:NTS)に続く。


青字がScotland、赤字がEnglandです。
太字の部分が、本日の掲載部分です。
NTSはNational Trust for Scotland property(スコットランド遺産を保護するナショナルトラスト運動の拠点)
NTはNational Trust(イングランド遺産を保護するナショナルトラスト運動の拠点)
Lochはスコットランド語で「湖」

→Edinburgh Military Tattoo(:エジンバラcastle)
→Edinburgh(エジンバラ)→車→Forthbridge→Perth(パース)→Dundee→Aberdeen(花崗岩の町:アバディーン)

Aberdeen(アバディーン)→Stoneheven→Dunnottar(ダノッター城)
→Fraser(フレーザー城:NTS)→Kildrumy(キルドラミー城)→Dufftown→Elgin→Niarn→Inverness(インヴァネス=ネス河の河口)


全コースは、2006/8/23の日記を参照ください。





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